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2005.01.17

10年前の「AM神戸558」から思い出したこと

TEAROOM☆NAOKO -ANNEX-さんの記事で、思い出したことがある。

1995年1月17日午前5時46分に発生した、阪神・淡路大震災のとき、停電した家の中で情報を得るためにすぐにラジオのスイッチを入れた。
最初は、「何かのときのNHK」ということで、NHKを聞いていたのだが、放送はBK(大阪放送局)から送出されているため情報源にならない。そこで、ダイヤルを合わせたのが当時「AM神戸558」と名乗っていたラジオ関西である。

当時、ラジオ関西は須磨海岸の近くに局社があった。須磨ニュータウンの実家が余震で揺れると、当然のごとくラジオ関西も揺れる。たいした情報が流れてくるわけではない。でも、スタジオで話しているアナウンサーも副調整室で作業しているスタッフの方も同じく揺れを感じながら、必死になって放送を続けてくれているのだと思うと、少し心が落ち着くような気がした。
停電が回復してテレビが見られるようになったのは、もう8時を回っていたのではなかっただろうか。そこまで、外部の情報を得る唯一の手段が、ラジオ関西だった。

その後は、テレビで情報・・・いや被害状況を目の当たりにすることとなった。最も衝撃的だった映像は、阪神高速の倒壊であった。そして、先日のプロジェクトXにもあったJRの被害、さらには大規模火災・・・そういえば、ベランダから南側の山の方を見たとき、空が赤黒くなっていたように思う。ちょうど板宿や鷹取のあたりの上空だったのだろう。

実家の被害はほとんど無かった。水道が使えなかったくらいで、電気もガスも問題なく使えていた。ただ、食料の確保が難しかった。スーパーに買い物に行って、買えたのはポテトチップスくらいしかなかった。
しかし、避難する事も無く、家にとどまることが出来たのだから、これを被災と呼ぶにはおこがましいように思う。
神戸という同じ町に住み、電車でわずか10数分の場所の違いで、被災者と「非」被災者に別れてしまった現実。10年という月日では、その二つが一つになるにはまだ短すぎるように思う。被災者でも「非」被災者でもない、普通の「神戸市民」として生活できることが、「復興」なのではないかと思う。その日はいったいいつやってくるのだろうか・・・。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ウチんところをお読み頂きありがとうございます。関西に大して縁の無い関東人が分かったようなことを書いていて申し訳ないです。実は放送再開第一声の内容やスタッフの動きに誤記述がありましたので直してます。
浜から離れた地域は被害が少なかったようですが、それでも私のように関東にいる人間よりは震災を共有できていると思います。「普通の神戸市民」という言葉が心に残りました。

投稿: MARU | 2005.01.18 01:48

MARU様
コメントありがとうございます。「普通の神戸市民」と何気なく書いた言葉ですが、「心に残る」といっていただけるとうれしいですね。
震災前の神戸市民(神戸人といった方がいいかもしれません)には、ちょっと大げさに言えば「神戸至上主義」的なところがあったように思います。神戸に生まれ育ち、住んでいることに誇りを持っている、それが神戸人の姿でした。
震災前よりもっといいまちにすることが「復興」ということになると思うのですが、それを実現していくことが、これからの「神戸人」の力の見せ所ではないかと思っています。

投稿: K_S | 2005.01.18 21:40

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