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2006.05.21

大ナベさん、サンテレビに登場!

新聞のテレビ欄見てびっくり!これは見ないと!

サンテレビ「バーばーヤング」 21:00~21:54
「渡邊一雄が初めて語る“ヤングタウン”仰天ウラ話」
ゲスト:ばんばひろふみ、渡邊一雄

以前記事にした「ヤンタンの時代。」著者であり、MBSラジオ「ヤングタウン」の生みの親、渡邊一雄さん(通称大ナベさん)がゲスト出演!テレビでお話しする姿を見る機会はめったにないと思うので大変楽しみである。
番組視聴後、追記していきたいと思う。

では、さっそく番組について書いていくことにする。
番組は、大きく分けて2つのパートに分かれる。
前半は、「ばーばーヤング」という理容店の設定で、店主の月亭八方師匠と常連客のオール阪神師匠・和泉修さんが、ゲストを迎えてトークを展開する。
ゲスト登場前のオープニングトークでは、八方師匠と阪神師匠が食事をかけてダイエットに挑戦し、3ヵ月後に番組で体重を図るというお話をされていた。

まず最初のゲストは、ばんばひろふみさん。ヒット曲「いちご白書をもう一度」の誕生秘話をお話されていた。
ヒット曲が出ず、音楽をやめようという決断をするために、最後の曲は自分達が書いたものではなく(ヒットしてなかったので)、他の人に書いてもらおうと思ったそうである。そのとき、デビューしたばかりの荒井由美氏の曲を聞いて、他の人の曲が白黒なのに、荒井氏の曲は「パステルカラー」に聞こえた。そこで、この人に曲を書いてもらいたいと思ったところ、偶然にもレコーディングディレクターが荒井氏を良く知っていて、そのつてで直接会って曲を書いてもらうように交渉したそうである。その頃、荒井氏は学生運動の歌を書こうとしていたのだが、まとまらない状態だった。ところがばんばさんと逢うことでインスパイアされて曲が出来た、その曲が「いちご白書」とのこと。曲は100万枚の大ヒットとなり、ばんばさんが音楽を続けていくきっかけにもなったのである。

八方師匠が、いろんな曲を集めたCDのテレビ通販CMを見ることが結構あって、そのCMの中でいろんな曲が流れるのだが、CMが終わってからも頭の中に残る曲は「いちご白書をもう一度」と「神田川」だけだというようなことをおっしゃっていた。

また、もう一つのヒット曲「Sachiko」とあわせた「切り札」をコンサートでどう歌うかといったお話をされていた。最後のほうでは、今は、団塊の世代の心をつかむ曲がないという八方師匠の言葉に対して、そういう曲があっても気づかせるための「媒体」がないから難しいというようなこともお話されていた。

番組後半は、「ばーばーヤング」の隣にある「バーヤング」でのトーク。八方師匠はマスターとなって、ゲストのばんばさんと阪神師匠・修さんとトークを展開する。その中に、2人目のゲストとして登場したのが、大ナベさんである。
まずは、出演者それぞれが大ナベさんとの関係について語る。修さんは、大ナベさんがプロデューサーをしていたラジオ番組の前説をされていたとのこと。怖いと聞いていた大ナベさんだったが、そのころにはずいぶんと「丸く」なられていたので、怖くはなかったという。

阪神師匠は、素人時代に巨人師匠とヤンタン土曜日の公開放送に出て漫才をしていたとのこと。ただ、面白くないときは放送されなかったそうである。

ここで、「ヤンタンの時代。」の紹介がなされて、話題はヤングタウンの話に移っていく。
当時は、テレビを見るよりラジオを聴く学生が多く、ヤングタウンを聞いていないと翌日の学校の話題についていけなかったというような話が出ていた。確かにそんな感じだったように思う。あの頃の深夜放送ラジオには、今とは違ったパワーがあったような気がする。

また、パーソナリティを「お笑い」+「局アナ」+「ミュージシャン」のチームにすることで、バランスを取ることが出来たともおっしゃっていた。当時、ABCの「ヤングリクエスト」は局アナがメインで進行し、お笑いも出演はしていたが、独立したコーナーを持たせる形となっていた。「ヤンリク」がラジオの基本中の基本を踏襲していたのに対して、ヤンタンは半年前に始まったヤンリクにないものをつくる必要があったため、ラジオの基本から飛び出した形を追求していた。それはヤンタンの「基礎」であり、今でもその基礎の部分は変わっていないような気がする。

また、東京では、大阪で曲をヒットさせるためには大ナベさんを通さないとダメだ!ということになっていたらしい。

さらに「ヤンタン事件リスト」と題して、5つの話題を取り上げていた。
「桂三枝 ヤンタン涙の卒業式」
三枝師匠が14年間続けたヤンタンを卒業するときに、泣いてしゃべれなくなり、最後に「ナベさんありがとう」と叫んだ。
「谷村新司東京行き相談」
谷村新司さんが東京進出するに当たって、千里にあった野球グランドのベンチで大ナベさんに相談していた。
「さんま交換日記に説教」
明石家さんまさんが、毎週大ナベさんのデスクにメモを残していってそれに大ナベさんがコメントをつけるという形の「交換日記」をされていた(現物も持ってこられていた。物持ちいいなあ・・・)。
「バンバン大阪郵便局とりまき」
ばんばさんが「速達」という曲を出したときに、ベストテンに出たら、大川栄作さんの「たんす担ぎ」に対抗して、ベストテンのセットのテーブルを持ち上げると冗談で言ったら、大阪中央郵便局に、リクエストはがきを出すためにリスナーが集まり、郵便局の周りをとりまいた話
(残念ながらベストテン入りはならなかったそうだが、かなりいいところまでいったらしい)。
「たかじん三枝のカバン持ち」
やしきたかじんさんに、大阪では歌だけでは世の中を渡っていけないから話芸を磨けと三枝師匠のカバン持ちをすることをすすめて、たかじんさんは約1年に渡ってそれを実行した。

多くは、本に書いている内容だったが、やはりご本人が語ると説得力がある。あっという間に番組のエンディングとなってしまった。もっともっと、いろんなお話を聞いてみたいと思った。

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コメント

この記事を読んで、知りました。
情報ありがとうございます!!観なきゃ!!

「ヤンタン」は鶴光さんや、角さんの頃。良く聴いてました。
「ヤンタン」の前枠の「夜のドラマハウス」も好きでねぇ~。

局は違うけれど「バチョン」も好きだったなぁ。
「ヤンプラ」も聴いてたし・・・「ハイヤング京都」も。

ラジオ番組をハシゴし倒してた頃の自分を思い返してしまいましたよ。

投稿: ひよ3号 | 2006.05.21 18:56

ひよ3号様
コメントありがとうございます。

鶴光師匠・角さんといえば、ヤン木黄金時代ですなあ。私がよく聴いていたのは、ヤン火の嘉門達夫さん&河合奈保子さんとかですね。

あの頃は各局の深夜番組それぞれが特徴的で、切磋琢磨していたような印象があります。トークメインとか、リクエストメインとか、タレントメインとか、局アナメインとか、それぞれの局の「カラー」があったような気がしますね。

ばんばさんもヤン金で活躍されてましたし、お二人からどんなお話が聞けるか楽しみです!

投稿: K_S | 2006.05.21 20:24

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