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2006.10.31

「褒められる」ことの大切さ

今週は、水曜どうでしょう公式HPの嬉野D日記に影響を受けた記事ばかりになりそうである。本日の日記もまた心を動かされた。

嬉野Dの奥様が、東北地方を旅行されたときのお話。湯治宿を泊まり歩いた奥様、ある湯治宿の炊事場で食事の支度をする初老の夫婦を見かけられた。若干ボケの症状が見受けられるご主人に指示を出しつつ、食事の準備をゆっくりゆっくり根気良く進めていく奥さんの姿を見て、他の方が「大変ね」と声をかけられたときに、その奥さんは笑顔で「でも、そんなことないんですよぉ」と楽しそうにこたえていた、その姿を見て嬉野Dの奥様は、嬉野Dにこのように語られたそうである(以下日記より引用)。

「あの奥さん、じっさい楽しいんだと思うのよ」

「だってね、想像してみてよ。あんな風になった旦那さんと二人っきりで自宅で過ごすことを考えたらさぁ、他人の中で、あぁして二人で調理をする方がどれだ け開放的で気が紛れることか。それに実際あの場でよ、よその人にも褒めてもらえたわけじゃない。あんたも大変だけど頑張ってるわねって。御主人幸せよねっ て。それが嬉しいのよ。そんな言葉をかけてもらえるのが嬉しいのよ」
(引用ここまで)

嬉野Dはこう続けている(以下日記より引用)。

家にいたら誰も褒めてくれない。
でも、他人の中で生活していると、そうやって褒めてくれたり気遣ってもらえることがある。
それがどれだけ生きていく上で張り合いになるか分からない。
そういうことは、絶対あるとぼくも思いました。
(引用ここまで)

「褒められる」ということは、人が生きていくうえで絶対に必要なことなのだろうと思う。どんな些細なことでも、その行いをちゃんと見ていてくれる人がいるということ、これもまた大切。

今の世の中、「褒め方」を知らない人、そして「ちゃんと褒められた」ことがない人というのが結構多いんじゃないかなあと、なんとなく思う。
何でも「点数」に置き換えて、周りと比較して、勝った負けたと勝負をつける。勝てば「褒められる」が、負ければ「けなされる」。褒められるといってもそれは「成果」「結果」を評価しているだけで、そこへ至るまでの過程などはほとんど無視されているような気がする。
そんな「褒められ方」しか知らないから、他人を「褒める」ときも「成果」「結果」でしか褒められない。それは何か違うなあと思うのだが・・・うむー、なんだか良くまとまらない記事になってしまった・・・反省。

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