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2008.10.16

藤村Dの「劇的3時間SHOW」を見る(5)

では、続きである。

第2部も、冷蔵庫からビールを取り出し、飲んでからのスタートとなる。
ステージの後ろには、「月」がかかっている(照明で演出)。

藤村Dが、今の時代はどういう時代なのか、先生から見るといい時代なのかと嬉野Dに振ると、嬉野Dは「いい時代ではない」「のんびりしていない」と答える。
嬉野Dはさらにこう続ける。

たとえば人が生きる上で、ある程度大事なことは何か。それは「理由」じゃないかと思った。
奥さんが旅から帰ってきたときに栗を持って帰ってきた。
包丁で殻を割って、渋皮を取る。2人で作業しないとはかどらない。
やっているうちに退屈になる。手間がある作業がある。
私がかみさんといる理由はそこにある。

家族が一緒に住んでいるということは、住まなければならない理由がある。
それは「家族だから」という理由ではなく、理由があるから家族がそこにいる。
人間が同じ空間にいる、つなぎとめているのは、「貧乏」や「不便でお金がない」ということだった。一緒に長い時間をすごすと、コミュニケーションが生まれ、愛情が生まれる。
今は団欒を囲む必要がないから、いなくていいからいない。
たとえばポータブルのステレオだったり、パソコンだったり、そういうものがあるから、一緒にいる理由がない。TVも見る理由がない。自分が存在する理由がなくなっているのではないか。人とつながっている理由がない。より多くの時間一緒にいる理由がない。

「水曜どうでしょう」は、登場人物がのんびりしている、のんきでほっとする部分がある。
旅をするのは存在理由があるから。何の迷いもない。寄り道をしても戻れる安心感。目的がある。
35~40年前に放送されていても面白かっただろうか、そんなにみんな見てくれないだろう。それは身の回りにほっとするものがあったから。今、世間にないものがどうでしょうにはある。

藤村Dの考える生きる目的は?
2年前のヨーロッパ。スペインでは、夕方から飲んでいる。スペイン人が男同士で飲んでいる。こういう風になったらいいなと思った。今日1日あるいは1週間にあったことを人に話せるということが大事なのではないか。スペイン人も愚痴は言っているはずだ。それで案外吐き出せている。それで生きているんじゃないか。人と話すことも出来ないと迷ってしまう。
嬉野Dは仕事中に喫茶店に行くけれども(笑)、でもそれが大事。
どれだけ人と話を出来るか、人と付き合えるかということが、生きてる目的なんじゃないか。

サラリーマンの人生って何だろう?仕で事お金をもらうことがすべて、でもそれじゃあやっていけない。
死ぬときに、多分思い出すのは仕事の成果じゃない。どうでしょうの最初のきっかけ部分(嬉野Dや鈴井さんや大泉さんとの出会いなど)だろう。
「仕事したいっすね」という話をした、何かをやりたいという気持ちを思い出すだろう(例え本当に仕事が出来なかったとしても)。
人と話をすることが生きてる価値のすべてだ。

ここから、しばらくはあの「砂」についての話が続く。この件については、改めて書くこともないと思うので、省略させていただく。あの企画が今後放送されることは、局の判断として「ない」ということだが、DVDは出すとのこと(藤村D)。

続いての話は、地方で番組を作っているということは、どういうことか。
場所は関係ない。「地方の利点」を活かすというのは、視野を狭くする。
住んでいる人の環境とか感性を活かして作ることが「ローカル的なもの」である。

さらに、最近のドラマについて。
何で最近のドラマを見ないか。理由は、画を切りすぎ、間を詰めている。
すぐ泣く、すぐ怒るとか、そんな奴見たことねえ。泣く奴は座って泣くよ。
泣いている人には目線をおくれない。人としておかしい、情がない。

「歓喜の歌」では、普通の手法とは違うものをやりたいと思い、カメラを変えた。
普通のカメラでは画が生々しすぎた。
違うことをやるにあたって、もともとのスタンダードがないので、スタッフにとってはそれが「スタンダード」になる。環境の違いが、こういうところに如実に現れる。一から考えて組み立てられる。
普通は「東京のように作りたい」と思ってしまう。
自分たちの環境で何が出来るか、自分たちが無理しない、目が届く範囲で作ること。
最大のテーマは「今のドラマを変えたい」
東京で作れば、「革命」にはならない(流行にはなるが)。日本を変えることは出来ない。環境が違うから。
日本を変えるという志が大事。実際に変わった。だから俺たちがここに呼ばれた。

「歓喜の歌」にまつわる話では、小樽の饅頭屋の話が出た。
店主がどうでしょうファン。1個75円。ロケハンのとき、15分待てといわれて、先を急いでいたので店を後にする。ロケハン終了後に立ち寄ったところ、「藤村さん!」と声をかけられて、饅頭を勧められた。
暖簾が頭の形になっているほど、古い店構え。
お土産での持ち帰りはダメ。一番美味しい状態で食べて欲しい、それが目的。
飲食店は美味しいものを一番よい状態で食べてもらうのが仕事。
饅頭はドラマでは使えなかった。理由は、たくさんの人がきても作れない。近所の人たちのために売っているから。

これに関連した嬉野Dからの話。
カメラ屋は、昔カメラ好きの親父が相手だった。それが、オートフォーカスが開発されたことにより、多くの人がカメラを持つようになった。それに伴って多くのお客さんに対応しければならなくなった。その結果、フィルムカメラからデジタルカメラに変わっていったのではないか。主役だったカメラ好きの親父がいられなくなってしまった。

モノづくりの本質がずれている。誰のために作っているのか。

もっと便利にといういうことは、もう求めていない。
社会全体が無思考だからまだそれ(便利さ)を追い求めているが、それは愚か、感性のかけらもない。

モノを作ることは人と話すこと。

どうでしょうで使うフォントの話。
DVD化にあたって、フォントを使うにも権利料がかかり、使えないフォントが出てくる。
ある日、兵庫県のフォント会社から手紙が来た。息子さんがファンで、会社のフォントを使っているからと、しょっちゅうDVDを見せられているうちに、面白くなってきた。
これだけフォントを使い分けてくれて、フォント屋をやっていてよかった。権利料は不要です。自由に使っていい。新作のたびに新しいフォントを送ってくれる。
さらに、お肉なんかも送ってくれるというと、嬉野Dが「ぼく食べましたっけ」
藤村Dは、差し入れで送られてきた食べ物はすぐに開けて、食べたり、周りに分けたりするが、嬉野Dは、送られてきたものをそのまま放置している。机が汚い。
嬉野D「あー、肉よこさなかったな!面白いことを言うじゃあないか!」

藤村D「日記長いですよ」「TVの番組のHPですよ。あなたの東北旅行の話だとか、マルコメがどうだとか」
結論は出ない、出せないですねえ。ねえ奥さんといえば済むと思っている。

嬉野D「私はどこまで行っても自分」
嬉野Dの話を聞いてくれるのは藤村Dだけ。
人の話を聞くというのは大事。自分を出すというのは、人の話を聞くから出せる。自分の話ししかしない奴はだめ。
藤村Dは嬉野Dの言ったことを咀嚼して、自分のことのように言う。
パクリ精神は大事。影響を受けることはある。

時刻は21時23分。
この時間からTVを見る奴は最低だ。TVなんかなくなってしまえばいい。
TVは人々の役割を奪っている。TVがないほうが幸せ。

モノを作るとは「人生」だ。人との付き合い。
いきなり100万人相手にモノは作れない。何からしていいのかわからない。
でも、あんたを喜ばせるためなら作れる。
嬉野D「(そういう内容のことが)論語に載ってたよ(※)」「孔子だよ」
藤村D「TV界の孔子だ」
(※「近き者説(よろこ)び遠き者来たる」のことか?)

どうでしょうの初期の作品は、視聴率1・2%だった。でもDVDでは15万から20万枚売れている。視聴率がすべての評価だと思っている奴には負けない。勝てる。

誰かを喜ばせるために作るという原点に立ち返る。

21時32分、嬉野D退出。
嬉野Dはこのくらいの時間に寝る。

藤村D一人、さらにのむ。
環境を変えていくことが大事。
面白いものを作るのは当たり前。
作る環境、作りやすい環境を作ってきたことがどうでしょうの本筋。

今思っているのは、日本のTVの環境を変えたい。
TVは最強だと思う。面白くないといわれるがやっぱり見てる。
面白くないのは、環境を変えなきゃならない。
それは、地方がやるべきではないか。

進路がわからないという学生に対して、なぜ悩むのか、おかしい。
仕事は社会の要求があって成り立つものであって、あなたのためにあるのではない。
TVは社会にどう貢献するか。
サラリーマンは、社会に対してどう貢献するか。
お金儲けだけしていた奴らは、社会に貢献したのか?

TVを悪くしたのは視聴率。局員が言っちゃダメだけど。
でもそろそろ言わなきゃいけない。
数字に惑わされて番組を作ると、人気取りになる。面白くないものを面白くないといえない。

スポンサーに対して、誠意を持って番組を作る、つまり客(視聴者)に対して誠意を持って番組を作る。TVが良質な番組を作るから、企業価値が上がるのだと、スポンサーを教育していく。これまでのアプローチでは人の心は動かせない。

コンテンツありき
いいモノを作ること
スポンサーを教育する
いいものを見極める
そうすれば、ビジネスモデルは出来ていく。

「細かすぎて伝わらないモノマネ・・・面白いんだよな」といって退出。
21時44分終了。

手元のメモ(B5ノート)の文字が、後半になるにつれて判別しにくくなってしまい(立ち通しで、疲れが手に来ていたのかもしれない)、日本語として意味がわかりにくいものになってしまったように思う。途中、飛んでいる部分も多々あるはずである。なんとなく雰囲気だけでも伝われば幸いである。

10月16日付のYahoo!トップに今回の「劇的3時間SHOW」の記事が掲載されていたので、そちらもあわせてご覧いただければと思う。

参考:「水曜どうでしょう」藤村Dがテレビ業界に物申す!(webザテレビジョン)

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