NHK「ラジオ深夜便」に樋口了一さん登場(2010/2/19放送分)
NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」に樋口了一さんが2/18(木)19(金)の2日間にわたって出演された。
朝4時台の「こころの時代」というコーナーで、18日の放送は起きることができず聞き逃してしまった。
19日も当初は聞くのをあきらめかけていたのだが、前日夜に「ブラタモリ」のアンコール放送「秋葉原」を見ながら「つぶやいて」いたところ、「ラジオ深夜便」をリアルタイムでつぶやきましょう」とある方からリプライされ、勢いでやることになってしまった(苦笑)。
まずは、ラジオのセッティングから。
以前はミニコンポでラジオを聴いたり、録音したりする機会があったのだが最近はすっかりそういうこともなくなっていたので、久しぶりに電源を入れてみる。
すると・・・ラジオが受信できない。アンテナはちゃんと接続されているのだがノイズがひどい。ほかの放送局にチューナーを合わせると、ABCラジオだけが唯一クリアに聞こえ、ほかはラジオ関西ですら聞こえない。アンテナの方向を変えたり、家の中のあらゆる家電製品の電源を落としてみたりしたのだが、一向に改善せず。
「これは・・・無理かなあ」とあきらめかけていたのだが、ふと、NHKのウェブサイトを見ていると、「ラジオ深夜便」がAMの第1放送だけではなく、FMでも同時放送(サイマル放送)されていることが判明。FMならテレビのアンテナ端子から分岐して同軸ケーブルをつなげば確実にクリアに聞こえるはずである。
余っていた同軸ケーブルと分配器(何で余ってるんだ?)を使い、ミニコンポのアンテナ端子に接続すると、無事NHK-FMをクリアに受信することが出来た。
気がつけばすでに日付は変わっており、樋口さんの登場まで4時間を切っている。このままおき続けて「徹夜」というのはさすがに体が持たないので、いったん横になり仮眠。
起きられるかどうか不安だったのだが、無事3時半過ぎに目が覚め、ミニコンポの前にスタンバイ、そのときを待った。
番組はちょうど財津和夫さんの特集。その後にはペギー葉山さんの曲も流れていた。お二人とも樋口さんがアルバム「よろこびのうた」でカバーした「切手のないおくりもの」を歌われている。
4時になり、ニュースが終わった後、いよいよ樋口さんが登場する「こころの時代」のコーナーが始まる。
「老いた親から子供への思いを歌に」というテーマで、前日から樋口さんのお話を聴いていることと樋口さんのプロフィール紹介があった後、今日はこの曲を通じてどんな出会いがあったのか、どんなことを感じたといったことを中心に話を聴くと説明。
ここからラジオ深夜便の和田Dが聞き手となった樋口さんのインタビューが流れる。
まずは、「手紙~親愛なる子供たちへ~」を樋口さん自身が「手紙」のタイトルのように一人ひとりに届けるライブ「ポストマンライブ」を積み重ねて実施していることについて、樋口さんは、普通のコンサートであれば、コンサートをやりますと告知してお客さんに来ていただくのが普通なのだが、このポストマンライブは「手紙」という曲を郵便配達しようという考えのもとに、ご要望に応じて、場所なども限定せずにこちらから出向いて届けて帰ってくるという発想で生まれたライブであると説明。去年の2月にスタートして、ほぼ1年で51箇所回ったポストマンライブ、今のところ一番北が北海道、南は鹿児島での実施だったとのこと。
樋口さんは、インディーズ活動をしているとき、自分の持ち歌を直接自分で旅をしながら、ライブハウスや路上など場所も特定せずに歌って回りたい、放浪したいという夢を持っていて、その夢が漠然と樋口さんの中にあったときに、プロモーターからポストマンライブの企画を持ち込んでもらい、この「手紙」という曲が、樋口さんの「夢」を実現させてくれたなという気持ちがあったともおっしゃっていた。
この曲を伝える役割を任されたという気持ちが強いという樋口さん、命というものはゆるぎなく続いていくものだという結論にたどり着いて、「手紙」の翻訳者である角さんに出会い、その角さんからこの「手紙」の詩を受け取ったということが偶然とは思えない、すべてが見えない何かに導かれているという気持ちがすごく強いという。
ポストマンライブで来てほしいという方はどういう方が多いのかという問いに対して、樋口さんは、51回のライブの中で一番多いのは介護施設や高齢者の方を診ている病院。それから、学校。これは小学校・中学校・高校・大学すべて行っている。後は、本当にさまざまで、例えば町内のコミュニティなど。
最初に行ったのは、知的障がい者の人たちの作業所であった。樋口さんたちは、「樋口了一ポストマンライブ」と書かれた大きな緑色の旗を作って、1回目はまっさらな旗であったのだが、去年1年回っていく中で、その旗にいろんなメッセージを書き込んでもらい、50箇所回ったときにその旗はメッセージで真っ黒になった、その旗を持って去年、最後にもう一度1回目のポストマンライブの会場(作業所)に行った。
1回目のポストマンライブがどんな状況であったかという問いに対して、樋口さんは、「みんなノリのいい曲が好きだ」と職員の方に聞いていたので、大丈夫だろうかという心配はあったのだが、何よりも収穫だったのは、普通のコンサートはまずこちら(演者)が心を開いていくことで、だんだんお客さんも心をオープンにしていってくれて、最後のピークに持っていくというスタイルがあるのだが、1回目のポストマンライブでは、樋口さんが心を開く以前から、作業所の皆さんが心を全部オープンにして受け入れてくれた、それが表情や聞いているときの様子で伝わってきて、うれしくて、樋口さんは「手紙」を歌っている途中、「あなたが生まれてくれたことで私が受けた喜びと」というところで泣いてしまい、歌えなくなってしまったそうである。
それは悲しいとか、つらそうだとかいう「同情」からではなく、この世に生まれてきた理由が誰にも必ずあって、それを一人ひとりが違う理由と役割、目的と使命を持ってここに生まれてきている、樋口さん自身はミュージシャンとして、その役目を果たそうとしていて、今目の前にいる人たちは、それぞれの理由でこの場にいて、一生懸命役割を果たして、そして戻っていく、樋口さん以上にがんばっているその姿勢にすごく感動し、表情に希望を感じたのだそうである。それを1回目のポストマンライブで体感したことが、そのあとの50回のポストマンライブへの原動力や姿勢の基本になったとおっしゃっていた。
続いて介護の施設で働く人々について、前日の放送では厳しい反応・言葉もあったということを話されていたようなのだが、実際にライブでそういった方々の前で歌ったときの反応がどうだったかという問いに対して、樋口さんは、最初に高齢者の方を診ている看護師さんの前でライブをやったときには、心配や不安、リアルな現実というバックボーンがない自分をどう受けとめてくれるのだろうかと気持ちがあり、「こんな甘いもんじゃない」という手紙を見ていたので、そんな声もどこからか響いてくるのではないかという気持ちと、この歌の言葉の後ろにはもっともっと、すべての人が絶対に納得できる大きいメッセージがあるんだという気持ちとが半分半分だったそうである。しかし、そういう場所で歌うことの回数を重ねていくにしたがって、確信めいたものが出てきた。
いろんな施設で働かれている方にとって、自分の仕事を、初めてこの職業を選ぶときに志した気持ちに立ち戻ることができたといってくださる人がすごく多かったことに、すごく救われたともおっしゃっていた。
続いて、大阪でのご夫婦2人の前でのライブのお話では、樋口さんがいろいろなメッセージを伝えるのと同じくらいのものを、聞いてくださる人が発しているのがわかり、それは一方通行ではなくなって、気持ちのやり取りになってくる。それに気づかせてもらったとおっしゃっていた。
結婚式でのライブのお話では、結婚する息子にお父さんがサプライズで実施したそうで、樋口さんとギターの森竹さんは、花束贈呈のそのタイミングまで物陰に隠れていたとのこと。歌っていると、お父さんやお父さんと同世代の出席者の方々がすごく共感されているのを感じたそうである。
滋賀のポストマンライブでは、樋口さんが「手紙」を歌う横で、手話通訳がつけられ、その手話を凝視されている方もいらっしゃったとのこと。樋口さんはその場所(家の庭先)が子供からお年寄りまでいろんな方がいて、楽しいものを分かち合っている楽園のように感じられたそうである。
ポストマンライブで配達したもの以上に帰ってくるものが多いと樋口さんは言い、それがまた次のポストマンライブに行くときのエネルギーになる。そして、そのエネルギーに「手紙」が触れることで、歌が成長していくのがわかるともおっしゃっていた。
出身地である熊本でのポストマンライブは、樋口さんのお父さんがデイサービスでお世話になっている施設で行われたそうで、お父さんから直接依頼され、自らその施設に申し出て実施されたそうである。ちょうどお盆の時期で、樋口さんの家族が帰省されているときに、樋口さんの家族と樋口さんのご両親がそろっているところで実施したとのこと。
樋口さんの中では、いつものポストマンライブで、その中に自分に近い人たちがいるなという気持ちだったそうである。
また、お子さんのことに触れて、「手紙」の言葉の意味をわかる年齢ではないのだが、上のお子さん(一郎君5歳)は、どんな種類の感情をこの曲に乗せて伝えているのかという、インスピレーションのようなものはわかるみたいだともおっしゃっていた。
ここでニューアルバムの話題になる。
「手紙」の言葉に出会う以前の数年間、樋口さんにとって「命」に対しての考え方が変遷していった時期で、その心の変化を書き留めるようなつもりで作っていった曲があり、その曲がたまっていったなかで、最後にこの「手紙」に出会えた。自然に「手紙」という曲のテーマ、終わらない命の希望の歌というメッセージを、違う切り口や角度から補完してくれている、「手紙」とその仲間のような曲が自然に10曲集まったアルバムだとおっしゃっていた。
ここからはそのアルバムの曲を聴きながらのお話となる。
まず最初の曲は「朝花」。2コーラス流れる。
石川さゆりさんに提供した曲と紹介されたので、樋口さんがもともとインディーズで出していた曲を石川さんが気に入られてカバーされ、今回樋口さんが改めてアレンジしなおして収録したものだと説明。地元の人が歌う「朝花節」を聞いて、女性の一生の物語が浮かんで一気に書き上げた曲で、男女の恋愛の歌ではなく、親と子の愛や人間同士の愛もある、そういう「ラブソング」として初めて形になった曲だともおっしゃっていた。
次の曲は「ふたば」。樋口さんのお子さんであるふたばちゃん(2歳)を題材にした歌である。曲作りをしているところに入ってくるふたばちゃんの相手をしながら、名前を呼んでいるうちにそれがメロディになっていることに気づいて曲に仕上げたものである。
こちらは1コーラス流れる。
子供に向けてメッセージを送っているつもりが、自分に向かっていたりもする。きっかけは子供でも、最後は「手紙」と同じところにたどり着いているなと聞いていて感じるともおっしゃっていた。
命であったり、親、子供、家族、老い、すべての生きとし生けるものへ向けた目線というものがどこかにある。人は人がいなければ何もできない、自分が自分であることすらできない。それがすべての基本である。そのことを歌う「歌」を歌うことを、音楽をやっている人間がやめてはいけないと思うし、愚直にそういうメッセージをどんなときでも伝え続けることが役割だと思うと樋口さんはおっしゃっていた。
そして、そういった歌を届けていくポストマンライブへの取り組みも、ライフワークとして続けていければ、そして、いつかこの「手紙」の主人公の年齢に近づいたときに、同じように郵便配達をしていられたら幸せだなと思うともおっしゃっていた。
ここで樋口さんのお話は終わり、コーナーの最後に「手紙~親愛なる子供たちへ~」がフルコーラスで流れた。
こうして聞き終えると、初日の放送を聞き逃したのが悔やまれてならない。何らかの形で初日の放送も聴きたいところ。過去にはこのコーナーを再放送したこともあるようだが・・・。
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